2018/02/23
邪馬台国は四国にあった…が確信に!(その10)
三好市は、それまでの三好郡三野町・池田町・山城町・井川町・東祖谷山村・西祖谷山村が平成18年(2006年)に「平成の大合併」により合併し発足した市です。現在の三好市東祖谷◯◯という地名のところは旧東祖谷山村だったところです。東祖谷山村と西祖谷山村のあたりは祖谷渓と呼ばれる深い峡谷に遮られ、標高1,000メートル以上の峠を経由する山道を越えない限り外部との往来が困難であったため、独自の生活習慣・習俗・口承文芸などが残されている地域です。
「美しき日本の残像」の著者として知られる米国人の東洋文化研究者アレックス・カーさんは慶應義塾大学国際センターに留学中の1972年 から1973年にかけてヒッチハイクで日本全国を旅したのですが、その旅の途中で訪れた徳島県の祖谷の山村に感銘を受け、東祖谷釣井(旧東祖谷山村)にある約300年前の藁葺き屋根の古民家を購入し、修復のうえ、「篪庵(ちいおり)」と命名して現在もそこに居住して活動の拠点にしています。
そのアレックス・カーさんに会いたいのか影響を受けたのか、この祖谷にはビックリするくらい多くの外国人観光客(それも欧米人主体)が訪れています。東京羽田空港から徳島阿波おどり空港までの飛行機にも10名以上の欧米人観光客が乗っていましたし、この「奥祖谷二重かずら橋」にも中国人のカップルに加え、欧米人の観光客も団体で訪れていました。この日、「奥祖谷二重かずら橋」で会った観光客は30名くらいでしたが、その半数近くが外国人観光客(欧米人主体)でした。
三好市東祖谷(旧東祖谷山村)にはアレックス・カーさんに加えて日本を訪れる外国人観光客に人気のあるスポットがあります。「奥祖谷二重かずら橋」と同じ東祖谷菅生(すげおい)地区の名頃(なごろ)集落がその場所です。ここの標高は約800メートル。長く「天空の里」と呼ばれていたのですが、それが今では「かかしの里」と呼ばれるようになっています。
「奥祖谷二重かずら橋」から国道439号線を西に向かってクルマで走ること約10分。その名頃集落はありました。名頃集落に入ると、人間そっくりに作られた“かかし”が、集落のあちこちにまるで生活をしたり、働いたりしているように置かれています。その人形の数は、集落の人数(約30人)より多い約200体に上ります。人形たちにはそれぞれの個性があり、ほのぼのとする光景を醸し出しています。
ネットで調べてみると、これらの人形(かかし)を作っているのは綾野月美さん(67歳)という1人の女性。綾野さんはこの地で生まれ育ったのですが、中学校の頃、父親の仕事の都合で大阪に行き、そこで結婚。しばらく大阪で暮らしていたのですが2002年、老いた父親の面倒を見るためこの地に一人で戻ってきました。綾野さんは昔から人形を作るのが趣味だったそうで、その1年後、第1号となる父親の人形を作ったところ、綾野さんが作った人形を見た人が何度も何度も、父親と間違えて「こんにちは」「おはよう」と人形に挨拶しているのを見て、それがおかしくて徐々に人形を増やすようになったのだそうです。綾野さんが人形を作るきっかけとなったのは「故郷に戻ってから畑に種を蒔いたけれど、何も生えてこなかった。それで、かかしを作ってみようと思った」とのことで、元々は畑に野生の動物を寄せ付けないためでした。その人形(かかし)があまりにリアルに出来すぎていて、地元で評判となり、その後様々な人形を生み出し、これまでに約350体の人形(かかし)を作り上げたのだそうです。
その綾野さんが作った人形(かかし)を2014年春に祖谷を訪れた広島に留学中のドイツ人学生(もしかして私の母校の大学の留学生か?)が、動画撮影をしYouTubeに投稿したところ、世界中から50万回以上も再生され一気に評判となりました。これをきっかけにクチコミで噂が広まり、まず外国人観光客がわざわざこの四国の山深い山村にあるこの「かかしの里」を訪れるようになり、その様子が地元をはじめ日本のテレビや新聞、雑誌等で取り上げられたことで、一気に全国的に知られるようになりました。今ではわざわざこの人形(かかし)だけが目当てでこの徳島県の祖谷の山深い山あいの村を訪れる人も多くいるといいます。まさにSNS(Social Networking Service)が生んだちょっとしたブームですね。
「限界集落」という言葉があります。「限界集落」とは、中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化などにより人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって、集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭などの社会的共同生活の維持が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている集落のことを指します。このような状態となった集落では共同体として生きてゆくための「限界」があるとして「限界集落」と呼ばれています。限界集落に関しては、この『おちゃめ日記』でも「限界集落株式会社」の題名で触れさせていただいたことがあります。
限界集落株式会社
まさにこの東祖谷菅生地区の名頃集落もそうした限界集落の一つです。集落自体はそれなりに大きく、ポツリポツリではありますが民家が建っています。かつては多くの人が住んでいたと思われますが、それらの民家のほとんどは空き家。もう何年も住んでいないのか、既に朽ち果て欠けている建物もあります。川の向こうには小学校でしょうか中学校でしょうか、小さいながらも鉄筋コンクリート3階建ての校舎があり、運動場もあります。明らかに学校でしょうが、既に廃校になっていて、子供達の姿は1人も見えません。というか、集落の中に地元の人の姿は1人も見かけません。
その村人の代わりにいるのが人形(かかし)。「住民は30人ですが、“かかし”200体で皆様のお越しをお待ちしています」という言葉になるのでしょう。
集落のいたるところに人形がいます。等身大で作られた人形は遠くから見ると人間そのものに見えます。人形達にはそれぞれの個性と表情があり、ほのぼのとする光景を醸し出しています。これらの人形達は畑に野生の動物を寄せ付けないための“かかし”が本来の役割なので、基本屋外に置きっ放しにされていて、風雨や雪などですぐに痛むことから、約350体の人形(かかし)を作り上げたのだそうですが、現在置かれているのは200体ということなのでしょう。ここからはしばしその「かかしの里」の人形達をご覧ください。
農作業をする人
ベンチに座っている人
愛を語り合うカップル
携帯電話をかけている人
バス停でバスを待つ人々
休憩所のようなところで休んでいる人
道路工事をやっている人
電話工事をやっている人
可愛い子供達が遊んでいます。
まるでここで暮らしているかのように生活感のある人形(かかし)達です。
なかでも極めつけはこの人形(かかし)でした。向こう側を向いて背中を見せているだけなので、あまりにリアルな背中の曲がり具合から本物の(生きている)老婆としか思えません。人形(かかし)かどうかを確かめるために恐る恐る近づいてみると、人形(かかし)でした。驚くべきは、この納屋の中。古いテーブルの上に置かれた目覚まし時計が正確な時を刻んでいました。あまりにもリアルです。下の写真の右側で、老婆と私、どちらが人形(かかし)のように見えるか…と訊くと、多くの人が右側のほうが人形(かかし)と言ってくださるのですけど、これって演技賞もののポーズってことなのでしょうか?
2011年に廃校になったという小学校は当時2人の生徒と1人の先生、それに校長先生しかいなかったそうなのですが、綾野さんは1つの教室の中に最後の授業を受ける2人の生徒と先生の姿を再現しているのだそうです。他の教室には授業参観に来た父兄と生徒で賑わっている様子までをも人形で表現しているのだとか。残念!、見逃してしまいました。これは自宅に戻ってからネットで調べていて知ったことで、事前には「かずら橋」のことは頭にあっても、「かかしの里」に行くことまでは考えていなかったので、仕方ないですね。もっとも、事前に知っていても、その廃校になった学校の側に渡る橋が工事中で、“本物の”土木工事業者の方が工事をしていたので、行けませんでしたが……。
「かかし基本台帳」なるものもあるのだそうです。それぞれの人形(かかし)の名前や 性格、物語などがユーモアたっぷりに記載されているそのだそうです。ネットの情報によると、この「かかし基本台帳」は、「かかしの里バス停」に備えられていて、訪れた人 たちが閲覧できるようになっているということなのですが、しまった! 気づきませんでした。これは事前の調査不足でした。
生活感あふれるほのぼのとした人形(かかし)達に心癒されました。周囲の山あいの美しい風景とあいまって、もうここまで来ると、立派な“芸術”ですね。
しかし、この「かかしの里」、人口減少社会の中における「限界集落」の現実を浮き彫りにしているだけに、見方によっては、怖いものさえ感じられます。
「限界集落」と言えば、この祖谷ではありませんが、徳島県には、全国でも有数の地域活性型農商工連携のモデルとなっている町があります。徳島県中部の勝浦郡上勝町がそこです。上勝町は剣山系の雲早山の東斜面に水源があり、勝浦町、小松島市を経て、徳島市南部で紀伊水道に注ぐ勝浦川の上流に位置する町で、総面積の約90%が山林というこの祖谷と同じような山間の小さな町で、人口は1,662名、823世帯(平成27年4月1日現在)、高齢者比率が51.49%という、過疎化と高齢化が極端に進む町です。また、四国の町の中では最も人口が少ない町です。
この上勝町を全国的に有名にしたのが第三セクターの「株式会社いろどり」。なんと、山で採れるもみじの葉などの葉っぱを料理の「つまもの」(日本料理を美しく彩る季節の葉や花、山菜などのこと)として出荷し、年間2億6,000万円以上を売り上げています。葉っぱの出荷農家は190世帯、平均年齢は70歳。主力は地元のおばあちゃん達。誰もが、防災用の無線を利用したFAXや高齢者用に工夫されたパソコン、農協への連絡用の携帯電話やタブレット端末といった機器を使いこなせるそうで、それらを駆使してなんと年収1,000万円を超える収入を得ているおばあちゃんもいるのだそうです。この「葉っぱで町を変えた魔法使い」は、JAの営農指導員として上勝町に赴任していた横石知二さん。……このあたりは私がここで述べるよりも、以下のHPを是非ご覧ください。
株式会社いろどりHP
……(その11)に続きます。
「美しき日本の残像」の著者として知られる米国人の東洋文化研究者アレックス・カーさんは慶應義塾大学国際センターに留学中の1972年 から1973年にかけてヒッチハイクで日本全国を旅したのですが、その旅の途中で訪れた徳島県の祖谷の山村に感銘を受け、東祖谷釣井(旧東祖谷山村)にある約300年前の藁葺き屋根の古民家を購入し、修復のうえ、「篪庵(ちいおり)」と命名して現在もそこに居住して活動の拠点にしています。
そのアレックス・カーさんに会いたいのか影響を受けたのか、この祖谷にはビックリするくらい多くの外国人観光客(それも欧米人主体)が訪れています。東京羽田空港から徳島阿波おどり空港までの飛行機にも10名以上の欧米人観光客が乗っていましたし、この「奥祖谷二重かずら橋」にも中国人のカップルに加え、欧米人の観光客も団体で訪れていました。この日、「奥祖谷二重かずら橋」で会った観光客は30名くらいでしたが、その半数近くが外国人観光客(欧米人主体)でした。
三好市東祖谷(旧東祖谷山村)にはアレックス・カーさんに加えて日本を訪れる外国人観光客に人気のあるスポットがあります。「奥祖谷二重かずら橋」と同じ東祖谷菅生(すげおい)地区の名頃(なごろ)集落がその場所です。ここの標高は約800メートル。長く「天空の里」と呼ばれていたのですが、それが今では「かかしの里」と呼ばれるようになっています。
「奥祖谷二重かずら橋」から国道439号線を西に向かってクルマで走ること約10分。その名頃集落はありました。名頃集落に入ると、人間そっくりに作られた“かかし”が、集落のあちこちにまるで生活をしたり、働いたりしているように置かれています。その人形の数は、集落の人数(約30人)より多い約200体に上ります。人形たちにはそれぞれの個性があり、ほのぼのとする光景を醸し出しています。
ネットで調べてみると、これらの人形(かかし)を作っているのは綾野月美さん(67歳)という1人の女性。綾野さんはこの地で生まれ育ったのですが、中学校の頃、父親の仕事の都合で大阪に行き、そこで結婚。しばらく大阪で暮らしていたのですが2002年、老いた父親の面倒を見るためこの地に一人で戻ってきました。綾野さんは昔から人形を作るのが趣味だったそうで、その1年後、第1号となる父親の人形を作ったところ、綾野さんが作った人形を見た人が何度も何度も、父親と間違えて「こんにちは」「おはよう」と人形に挨拶しているのを見て、それがおかしくて徐々に人形を増やすようになったのだそうです。綾野さんが人形を作るきっかけとなったのは「故郷に戻ってから畑に種を蒔いたけれど、何も生えてこなかった。それで、かかしを作ってみようと思った」とのことで、元々は畑に野生の動物を寄せ付けないためでした。その人形(かかし)があまりにリアルに出来すぎていて、地元で評判となり、その後様々な人形を生み出し、これまでに約350体の人形(かかし)を作り上げたのだそうです。
その綾野さんが作った人形(かかし)を2014年春に祖谷を訪れた広島に留学中のドイツ人学生(もしかして私の母校の大学の留学生か?)が、動画撮影をしYouTubeに投稿したところ、世界中から50万回以上も再生され一気に評判となりました。これをきっかけにクチコミで噂が広まり、まず外国人観光客がわざわざこの四国の山深い山村にあるこの「かかしの里」を訪れるようになり、その様子が地元をはじめ日本のテレビや新聞、雑誌等で取り上げられたことで、一気に全国的に知られるようになりました。今ではわざわざこの人形(かかし)だけが目当てでこの徳島県の祖谷の山深い山あいの村を訪れる人も多くいるといいます。まさにSNS(Social Networking Service)が生んだちょっとしたブームですね。
「限界集落」という言葉があります。「限界集落」とは、中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化などにより人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって、集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭などの社会的共同生活の維持が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている集落のことを指します。このような状態となった集落では共同体として生きてゆくための「限界」があるとして「限界集落」と呼ばれています。限界集落に関しては、この『おちゃめ日記』でも「限界集落株式会社」の題名で触れさせていただいたことがあります。
限界集落株式会社
まさにこの東祖谷菅生地区の名頃集落もそうした限界集落の一つです。集落自体はそれなりに大きく、ポツリポツリではありますが民家が建っています。かつては多くの人が住んでいたと思われますが、それらの民家のほとんどは空き家。もう何年も住んでいないのか、既に朽ち果て欠けている建物もあります。川の向こうには小学校でしょうか中学校でしょうか、小さいながらも鉄筋コンクリート3階建ての校舎があり、運動場もあります。明らかに学校でしょうが、既に廃校になっていて、子供達の姿は1人も見えません。というか、集落の中に地元の人の姿は1人も見かけません。
その村人の代わりにいるのが人形(かかし)。「住民は30人ですが、“かかし”200体で皆様のお越しをお待ちしています」という言葉になるのでしょう。
集落のいたるところに人形がいます。等身大で作られた人形は遠くから見ると人間そのものに見えます。人形達にはそれぞれの個性と表情があり、ほのぼのとする光景を醸し出しています。これらの人形達は畑に野生の動物を寄せ付けないための“かかし”が本来の役割なので、基本屋外に置きっ放しにされていて、風雨や雪などですぐに痛むことから、約350体の人形(かかし)を作り上げたのだそうですが、現在置かれているのは200体ということなのでしょう。ここからはしばしその「かかしの里」の人形達をご覧ください。
農作業をする人
ベンチに座っている人
愛を語り合うカップル
携帯電話をかけている人
バス停でバスを待つ人々
休憩所のようなところで休んでいる人
道路工事をやっている人
電話工事をやっている人
可愛い子供達が遊んでいます。
まるでここで暮らしているかのように生活感のある人形(かかし)達です。
なかでも極めつけはこの人形(かかし)でした。向こう側を向いて背中を見せているだけなので、あまりにリアルな背中の曲がり具合から本物の(生きている)老婆としか思えません。人形(かかし)かどうかを確かめるために恐る恐る近づいてみると、人形(かかし)でした。驚くべきは、この納屋の中。古いテーブルの上に置かれた目覚まし時計が正確な時を刻んでいました。あまりにもリアルです。下の写真の右側で、老婆と私、どちらが人形(かかし)のように見えるか…と訊くと、多くの人が右側のほうが人形(かかし)と言ってくださるのですけど、これって演技賞もののポーズってことなのでしょうか?
2011年に廃校になったという小学校は当時2人の生徒と1人の先生、それに校長先生しかいなかったそうなのですが、綾野さんは1つの教室の中に最後の授業を受ける2人の生徒と先生の姿を再現しているのだそうです。他の教室には授業参観に来た父兄と生徒で賑わっている様子までをも人形で表現しているのだとか。残念!、見逃してしまいました。これは自宅に戻ってからネットで調べていて知ったことで、事前には「かずら橋」のことは頭にあっても、「かかしの里」に行くことまでは考えていなかったので、仕方ないですね。もっとも、事前に知っていても、その廃校になった学校の側に渡る橋が工事中で、“本物の”土木工事業者の方が工事をしていたので、行けませんでしたが……。
「かかし基本台帳」なるものもあるのだそうです。それぞれの人形(かかし)の名前や 性格、物語などがユーモアたっぷりに記載されているそのだそうです。ネットの情報によると、この「かかし基本台帳」は、「かかしの里バス停」に備えられていて、訪れた人 たちが閲覧できるようになっているということなのですが、しまった! 気づきませんでした。これは事前の調査不足でした。
生活感あふれるほのぼのとした人形(かかし)達に心癒されました。周囲の山あいの美しい風景とあいまって、もうここまで来ると、立派な“芸術”ですね。
しかし、この「かかしの里」、人口減少社会の中における「限界集落」の現実を浮き彫りにしているだけに、見方によっては、怖いものさえ感じられます。
「限界集落」と言えば、この祖谷ではありませんが、徳島県には、全国でも有数の地域活性型農商工連携のモデルとなっている町があります。徳島県中部の勝浦郡上勝町がそこです。上勝町は剣山系の雲早山の東斜面に水源があり、勝浦町、小松島市を経て、徳島市南部で紀伊水道に注ぐ勝浦川の上流に位置する町で、総面積の約90%が山林というこの祖谷と同じような山間の小さな町で、人口は1,662名、823世帯(平成27年4月1日現在)、高齢者比率が51.49%という、過疎化と高齢化が極端に進む町です。また、四国の町の中では最も人口が少ない町です。
この上勝町を全国的に有名にしたのが第三セクターの「株式会社いろどり」。なんと、山で採れるもみじの葉などの葉っぱを料理の「つまもの」(日本料理を美しく彩る季節の葉や花、山菜などのこと)として出荷し、年間2億6,000万円以上を売り上げています。葉っぱの出荷農家は190世帯、平均年齢は70歳。主力は地元のおばあちゃん達。誰もが、防災用の無線を利用したFAXや高齢者用に工夫されたパソコン、農協への連絡用の携帯電話やタブレット端末といった機器を使いこなせるそうで、それらを駆使してなんと年収1,000万円を超える収入を得ているおばあちゃんもいるのだそうです。この「葉っぱで町を変えた魔法使い」は、JAの営農指導員として上勝町に赴任していた横石知二さん。……このあたりは私がここで述べるよりも、以下のHPを是非ご覧ください。
株式会社いろどりHP
……(その11)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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