2018/02/27

邪馬台国は四国にあった…が確信に!(その11)

クルマを反転させ、国道439号線を剣山7合目の見ノ越に向かって戻ります。

雲が切れて、剣山の山頂付近が顔を覗かせています。山頂付近は説明の案内看板に書かれていたとおりのなだらかな稜線になっています。

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いったん、剣山7合目の見ノ越のお土産物屋兼食堂のところまで戻り、そこで左に急カーブして、国道438号線を貞光の方向に下っていきます。

国道438号線の見ノ越から貞光のちょうど真ん中あたり一宇峡(いちうきょう)があります。一宇峡は、徳島県美馬郡つるぎ町一宇十家を流れる吉野川水系の一宇川(貞光川)に位置する峡谷です。延長は約10km。剣山国定公園内にあり、標高1,712メートルの丸笹山とその山系を流れ出た清らかな水によって作られた険しい渓谷です。周辺に「鳴滝」と呼ばれる辺り一面に白煙のように細かい水しぶきをたち昇らせる大きな滝や、「土釜」と呼ばれる峡谷の河床にできた釜状の甌穴があり、素晴らしい渓谷美を作っています。ちょうど、紅葉が峡谷を鮮やかに彩る時期で、その紅葉の色が澄んだ川の水に映って、いつまで眺めていても見飽きません。

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貞光川の一宇峡沿いの険しい谷あいに実にこじんまりした街並みが開けています。このあたりは今は2005年の平成の大合併により貞光町や半田町と合併して徳島県美馬郡つるぎ町の南部の地域になっていますが、かつては一宇村(いちうそん)という独立した村でした。ただ、村のほとんどが山林という山また山の村で、平地はほとんどありません。一宇村は剣山(標高1,955メートル) の北に広がり,四国山地の北斜面にあたります。 かつては南朝方の阿波山岳武士の拠点であったところです。剣山の北斜面は雨が少なく林業には不適で、タバコ、カキ、クリを主に産出していたそうです。そんな一宇村の中心部(仮に一宇と呼ぶ)がこのあたりでした。この一宇渓谷、川遊びや釣りなどが楽しめそうです。

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この一宇は剣山をはじめとした四国山地の山岳地帯の入口に位置するところにあたります。剣山は信仰の山として古くから崇められ、この先の貞光川の上流には主だった集落がないにもかかわらず、この一宇を通る街道の往来は少なくなかったと言われています。この道路(国道438号線)が「一宇街道」と呼ばれたのは、剣山への巡礼客が多く辿ったことから名づけられたもので、峠下の宿場のような役割もあったといわれています。また、背後に高い四国山地の山岳地帯を抱えていることから、自然とここに山々の諸山村からの物資が集まり、在郷商業町としても発達していたようです。一宇街道沿線ではこれより南に一切このような固まった街並みを有するところが存在しないため、その経済範囲は広大で、山から商品を卸してくる者もここで宿泊を余儀なくされていたと考えられます。そのようなこともあり山あいの集落としては意外なほどの固まった街並みを形成していたのだと考えられます。木地師や塗師などの産業も栄え、剣山北麓にあって、おそらく一つの独立した経済圏を築いていたのではないかと考えられます。

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この街並みの中心を貫く道路は国道438号です。国道と言ってもクルマで離合も困難なほどの細い道であり、国道というには余りに脆弱な道路です。その隘路はこの先剣山の麓に至るまで延々と続いています。しかしこの深い山間の地でも町家建築の古い町並が今も残っています。中山道の旧宿場でよく見掛けるような出桁造り(だしけたづくり)で二階部正面に木製の欄干を施した、見るからに旧旅籠と思える家屋もあり、かつては宿場としての賑わいを示していたであろうことが想像できます。

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国道沿いからは嶮しい山岳部の斜面が見え、そこに集落がへばりつくように立地しているのが見えます。四国山地の真骨頂とも言うべき街並みです。

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「つるぎ町コミュニティーバス」の停留所があります。JR徳島本線の貞光駅からこの国道438号線を走り、この一宇の先の剣橋と葛籠(つづらお)堂まで平日5往復、休日(土・日・祭日)3往復、運用されているようです。「つるぎ町コミュニティーバス」ということは、この葛籠堂までは人が住む人家があるということのようです。「登山臨時バス」という表示もありますが、この「つるぎ町コミュニティーバス」は夏季の登山シーズン限定で、見ノ越にある剣山観光登山リフトの乗り場まで運行区間を延長しているようです。右側のバス停留所は四国交通という民営バスのバス停で、既に路線が廃止になっているので、時刻表の表示は削られています。そう言えば、先ほど白い車体のマイクロバスが通っていったので、あれが「つるぎ町コミュニティーバス」なのでしょう。

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この日宿泊した「岩戸温泉 つるぎの宿 岩戸」です。この「岩戸温泉 つるぎの宿 岩戸」は元々は一宇村営の施設でした。今は民間に委託され、運営されています。このあたり唯一の宿泊施設で、しかも天然温泉の宿で、泉質は単純硫黄化水素泉。陽が暮れていたのでハッキリとは分かりませんでしたが、浴場の窓からは四季折々の自然の景色が広がります (静かなので、下を流れる貞光川の渓流の音はよく聞こえました)。

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ニホンジカの剥製です。このあたりの山で捕まえられたのでしょうか。シカは常緑広葉樹林や落葉広葉樹林、草原などに生息するものなので、広葉樹林の多いこの剣山系の山々はシカにとって暮らしやすいところなのでしょうね。それだけ豊かな山の自然があるってことです。

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おいおいおい…、「ソロモン・アーク 秘宝伝説の山」ですか……。

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アーク(聖櫃)とは約3,000年前、エジプトのシナイ山でモーゼが神から授けられた十戒を刻んだ「十戒の石板」、モーゼの兄であるアロンが持っていたとされる「アロンの杖」、それに「マナ」という天から降って来た食べ物が限りなく出てくるという「マナの壷」という「三種の神器」が納められた箱のことで、別名「契約の聖櫃」とも呼ばれます。サイズは112×68×68cm。アカシヤの木で造られ、金箔で内側、外側を覆われていたとされています。

紀元前970年からソロモン王の統治下、エルサレムに神殿を造り、至聖所と呼ばれる内陣にそのアークを納めていました。旧約聖書によると1年に1回、祭司たちが外にアークを運び出し、儀式を行なっていたのですが、紀元前900年以降突然そのアークが消えてしまったのです。それが「失われたアーク(聖櫃)」。徳島ではその「失われたアーク(聖櫃)」が剣山の山中のどこかに隠されているという伝承がまことしやかに広まっているようです。

「失われたアーク(聖櫃)」と言えば、ジョージ・ルーカス製作総指揮で、スティーヴン・スピルバーグ監督、ハリソン・フォード主演で映画化された『インディ・ジョーンズ シリーズ』の第1作である『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。その「失われたアーク」のことです。もしかしたら、ハリソン・フォードが演じたプリンストン大学で教鞭を執る高名な考古学者インディアナ・ジョーンズ教授がアークを探しにやって来たのは、舞台となった1936年の日本の徳島、それも剣山だったのかもしれません。実際、大東亜戦争終結直後、進駐してきた連合国軍総司令官のダグラス・マッカーサーがGHQ(総司令部)に命じてその「失われたアーク(聖櫃)」を探すためかなり大掛かりな捜索隊を徳島県の剣山の山中に派遣したという噂もあるようです。

ちなみに、アークは金箔張りで、上部の蓋には2対のケルビム(天使)が鎮座し、2本の棒を箱尾についている金具に通して、担いで運ぶようになっていました。その構造から、日本の神輿はそのアークが発祥であるという説を唱える方もいらっしゃるようです。

この「岩戸温泉 つるぎの宿 岩戸」の「ソロモン・アーク」と書かれた箱にはイタドリの茎で作った杖が入れられていて、「ご自由にお持ちください」と書かれています。イタドリの乾燥させた茎で作った杖は極めて軽量で丈夫という特徴があります。山歩きには最適なので1本貰って帰りたかったのですが、旅行中邪魔になるので諦めました。おそらく、この一宇の宿では、長い山道を歩かないといけない旅人の皆さんにこのイタドリの茎で作った杖をサービスで配っていたのではないでしょうか。その名残りなのかもしれません。



……(その12)に続きます。