2018/04/23
銀の匙Silver Spoon第4章
「銀の匙Silver Spoon」シリーズの第4弾として、4月16日(月)、17日(火)の1泊2日で北海道の浜頓別(はまとんべつ)町に出張してきました。
銀の匙 Silver Spoon(その1)…(その2)まであります。
銀の匙Silver Spoon第2章(その1)…(その7)まであります。
銀の匙Silver Spoon第3章(その1)…(その2)まであります。
浜頓別町の最寄りの空港は稚内空港。東京から浜頓別町に行くには、羽田空港から稚内空港に飛び、そこから(公共交通機関がないため)レンタカーを借りて行くしか方法はありません。東京羽田空港と稚内空港の間はANAが1日1往復の直行便を運航しています(夏季は1日2往復に増便されるようです。また、新千歳空港~稚内空港間も1日2往復運航されていて、新千歳空港乗り換えで行くことも可能です)。
10時55分、そのANA571便稚内空港行きのボーイング737-800型機は定刻に晴天の東京羽田空港を離陸しました。エンルート(航空路)上の天候は概ね曇り。関東平野を過ぎて東北地方に差し掛かると眼下が厚い雲に覆われて、下の景色は少しも楽しめなかったのですが、北海道に差し掛かると渡島半島の部分だけが雲が切れていて、そこに白く雪を被った蝦夷駒ヶ岳(渡島富士)の姿が確認できました。北海道にやって来たことを実感します。ANA571便は再び雲の上を北上します。
徐々に高度を下げて、着陸態勢に入ります…という機内アナウンスが聞こえた頃、厚い雲の下に出て眼下の景色が見え始めました。さすがに道北、4月も下旬になろうかというこの時期でもまだ大地は雪に白く覆われています。事前に気象情報を確認して、スーツケースには毛糸のベストと丸められる携帯用のウインドブレーカーを入れておいたのですが、この雪景色を見ると、果たしてそれだけで足りるのかどうか…少し心配になります。
稚内空港には北海道TMRセンター連絡協議会の事務局を務めている株式会社オーレンス総合経営の福田直紀社長達が先に札幌から来ていただいていて、稚内空港で合流しました。稚内空港でレンタカーを借り、約100km離れた浜頓別町を目指します。
浜頓別町は、北海道最北の宗谷地方東部に位置する町です。人口は約3,700人。道北のオホーツク海に面した酪農と漁業が盛んな小さな町です。稚内空港から北緯45度31分21秒、日本の本土における最北端の地である宗谷岬を経てクルマで走ること約1時間半のところにあります。浜頓別町の頓別(とんべつ)とはアイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖から出る川)に由来します。大正5年(1916年)、枝幸村(えさしむら:現在の枝幸町)から分村した頓別村が、大正10年(1921年)、内陸部の中頓別村(現在の中頓別町)とオホーツク海に面した浜頓別村(現在の浜頓別町)に分かれて生まれた町です。浜頓別町のオホーツク海沿岸には湿原が広がり、町の西部・南部には山岳地帯が広がっています。
左手に島影一つない荒涼としたオホーツク海を眺めながら、海沿いの道(国道238号線)を南下します。さすがに日本列島最北端の地、前述のように4月も下旬になろうかというこの時期でも、まだいたるところに雪が残っています。今日の最高気温は5℃。東京からやって来るとさすがに寒いです。
浜頓別町では酪農用の牧草の栽培をしているエバーグリーンTMRセンターを訪問しました。エバーグリーンTMRセンターの牧草地の広さは約1,600ヘクタール。事務所のあるところからオホーツク海の海岸線まで見渡す限りの牧草地です。今はところどころ雪に覆われていたりしますが、2ヶ月後の6月中旬には一面の緑に変わり、はや一番草の刈り取りが始まります。
酪農は牧草を育て、それを乳牛という生きた機械にかけて(食べさせて)、生乳に加工する産業。従って、生乳の原料となる質の高い(栄養価の高い)牧草を大量に栽培できるかどうかが最も重要となります。その牧草の品質と収穫量を左右する一番の環境要素が気候と気象。気象情報会社としてどういうお役に立てることができるのか、エバーグリーンTMRセンターの佐々木代表(北海道TMRセンター連絡協議会会長)と意見交換をさせていただきました。やっぱ、現地に来てみないと分からないことがいっぱいあります。現場主義の私にとってはどんな産業でも現場に足を運ぶのは楽しいですし、いっぱい勉強になることがありますね。酪農が直面する課題もよく分かりました。(その内容は省略させていただきます)
浜頓別ではキタキツネやエゾシカが小さな街のど真ん中を悠然と歩いています。本当に自然の豊かなところです。こういうところに仕事で訪れる日が来るとは思ってもいませんでした。酪農に関係するということは、こういうことなんですね。
宿泊した温泉ホテルの目の前にはクッチャロ湖が広がっています。クッチャロ湖への今日の白鳥の飛来は約380羽だそうです。クッチャロ湖のほうを観ると……、そだね~~(^。^)
夜はエバーグリーンTMRセンターの佐々木代表やJAひがし宗谷の皆さん達との懇親会でした。さすがに北海道、外は寒くても、室内はあったかいです、はい。オホーツク海の海の幸をたっぷりと堪能させていただきました。
出張2日目、前日の曇天とは一転、この日の御天気は朝から晴れ。オホーツク海から吹き込む北東からの風はかなり強いのですが、気温は前日に比べると随分と高いです。この暖かさで残った雪も一気に溶けるのではないでしょうか。昨日は朝方に少し小雪も舞ったようですが、今日以降は暖かくなる予報なので、牧草も急激に成長しそうですね。
天気がいいので、朝、ホテルの周辺を散歩しました。
前述のように、ホテルのすぐ前に広がるクッチャロ湖です。クッチャロ湖はオホーツク海沿いに開けた頓別平野の南部にある湖沼です。仁達内川河谷の溺れ谷が、砂州によってオホーツク海と隔てられた海跡湖で、北西の小沼と南東の大沼の2つの湖沼からなります。「湖」と名の付く湖沼の中では礼文島にある久種湖(くしゅこ)に続いて日本で北から2番目に位置し、北オホーツク道立自然公園に含まれています。名称の由来は、アイヌ語のkut-char(沼の水が流れ出る口)で、北海道東部の弟子屈町にある日本最大のカルデラ湖・屈斜路(くっしゃろ)湖と同じ語源です。
水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で締結された国際条約であるラムサール条約に、1989年、日本で3番目に登録された湖で、湖の南岸は泥炭地が広がり、ヨシやスゲ、あるいはミズゴケの生える湿原となっています。小沼北岸からポン沼にかけてはアカエゾマツ林が見られ、また、海岸の砂州には砂丘や浜堤(ひんてい:海の波によって洗われたり、波によって移動してきた物が堆積させられたりすることによって、主に海岸とほぼ平行に形成される低い峰のこと)の列が発達しており、ここには100種以上の北方植物や湿性植物が群生するベニヤ原生花園があります。また、クッチャロ湖は日本最大のコハクチョウの中継地で、毎年2万羽ほどが飛来するほか、ヒドリガモ、オナガガモなどのカモ(鴨)類が多く飛来します。前日、ホテルのフロントのところに「今日の白鳥の飛来は約380羽」という表示が出ていましたが、ピークは5月のGW前後で、一度に約7,000羽のコハクチョウが飛来し、ここでしばし羽根を休めて、シベリアに向けて次々と群れをなして旅立っていくのだそうです。その時は広い湖面一面が白鳥で真っ白になり、鳴き声がガーガーと鳴り響き、かなり騒がしいそうです。その光景も見てみたいものです。
クッチャロ湖の湖畔には縄文時代や擦文時代(さつもんじだい:7世紀から13世紀頃まで北海道で広く広まった文化の時代) の竪穴式住居の遺跡が発掘され、復元されています。縄文時代は今からおよそ12,000年前から約10,000年間もの長い間続いた文化の時代のことで、そんなに古い時代からこの日本列島の最北端の酷寒の地で人々が暮らしていた痕跡が残っていることに驚かされます。
午前中、JAひがし宗谷の佐藤組合長を表敬訪問しました。当初は軽い表敬訪問のつもりで訪問させていただいたのですが、気がつけば約2時間の熱い意見交換の場になってしまいました。そのくらい酪農において気象は重要な環境ファクターであるということで、そのことをさらに実感させていただいた有意義な意見交換となりました。(その内容は省略させていただきます)
その後、稚内空港から飛行機で帰京しました。稚内空港に向かう道中、進行方向右手にはオホーツク海が広がっています。日本列島最北端の漁港があります。日本列島最北端の郵便局、日本列島最北端のコンビニ…、このあたりは「日本列島最北端の○○」が次々と続きます。
宗谷岬へ続く道(国道238号線)を海岸線に沿って北に進みます。
北緯45度31分21秒、日本の本土における最北端の地である宗谷岬です。宗谷岬には間宮林蔵の像が建っています。江戸幕府からの命を受けて北方探索に赴いた間宮林蔵は1809年、間宮海峡を発見して、樺太(現サハリン島)が“島”であることを確認しました。この発見は当時の世界地図の空白を埋める偉業であり、間宮林蔵は世界地図にその名を残しました。その後、師である伊能忠敬の事業を引き継ぎ、蝦夷地(北海道)の地図作成にも多大な貢献を果たしています。
宗谷岬に立つ「日本最北端の地の碑」です。ついに日本列島最北端の地に立たせていただきました。ちょっと感激です。
北緯45度31分21秒。北緯45度上にある世界の主な都市を挙げると、イタリアのミラノ、カナダのモントリオール、フランスのリヨン等があります。ちなみに東京の緯度はおおよそ北緯35度、日本最南端の都市である沖縄県の石垣市は北緯24度に位置しています。この数字を見ると日本列島がいかに南北に細長いかが分かります。「日本最北端の地の碑」の背後に広がる海は宗谷海峡。その宗谷海峡を挟んだ対岸はサハリン島のクリリオン岬(ロシア)。その距離は約43km。天候に恵まれると宗谷海峡の彼方にかつて日本領の樺太だったサハリン島の島影を微かに望むことができるそうなのですが、残念ながらこの日はいくら眼を凝らしてもサハリン島の島影までは見つけることができませんでした。宗谷岬の周辺ではコンブ(昆布)の匂いが漂っていました。目の前の海(宗谷海峡)を見ると、海岸線のすぐ近くまでコンブが生えています。
なお、日本国政府の実効支配が及ぶ範囲における最北端の地は、宗谷岬の沖合い西北西約1 kmに位置している無人島の弁天島です。
1泊2日の駆け足の出張でしたが、酪農という産業における気象情報活用の重要性をこれまで以上に認識することができ、非常に実りの多い出張でした。
稚内空港を離陸して上昇を続ける飛行機からは、眼下に美しい利尻富士(利尻島)の姿が見えました。利尻島とその隣にある礼文島には3年前の9月に訪れました。本当に素晴らしいところでした。弊社ハレックスのオフィシャルブログ『おちゃめ日記』に「北のカナリアたちに逢いに最北限の島へ」と題してその時の紀行文を掲載しています。よろしければ利尻島、礼文島の自然をご覧ください。(その12)まで続く大作です。利尻島と礼文島には是非また一度訪れてみたいと思っています。そのくらい気に入っちゃいました。
北のカナリアたちに逢いに最北限の島へ(その1)
稚内空港を離陸した飛行機の眼下には、まだ雪が残る北海道の大地が広がっていました。次に北海道を訪れる時は、緑の大地に変わっている頃でしょうか。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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