2018/05/09
中山道六十九次・街道歩き【第19回: 贄川→宮ノ越】(その1)
12月2日(土)、3日(日)の1泊2日で『中山道六十九次・街道歩き』の【第19回】に参加してきました。【第19回】は前回【第18回】のゴールだったJR贄川駅前を出発し、贄川関所、贄川宿を経て、現在も当時の町並みが保存されていて国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている奈良井宿。奈良井宿からは中山道の難所の1つ、鳥居峠を越えて「お六櫛」で有名な薮原宿、さらには木曾義仲所縁の宮ノ越宿まで歩きます。前回【第18回】で有名な「是より南 木曽路」の石碑を過ぎ、ついに中山道のクライマックスとも言える木曽路に入りました。中山道六十九次の中でも特別に「木曽路十一宿」と呼ばれる11の宿場のうち、今回は4つの宿場を歩きます。
【第16回】は台風で参加できず、前々回【第17回】は小雨が降る中での街道歩きだったのですが、前回【第18回】で復活した「晴れ男のレジェンド」は今回も健在のようで、朝からよく晴れています。空気も澄んで、空の青さが際立っています。この空の青さは大陸から冷たく乾燥した空気が流れ込んでいるためで、そのぶん、ちょっと気温は低めです。でもまぁ〜、歩いていると暖かくなるでしょう。こういう時の街道歩きは着る服が問題となります。一番外側はダウンの入ったウインドブレーカーを着ているので、中の重ね着で調整です。
3週連続で週末にこのコースを歩くというウォーキングリーダーさんによると、この前の2回はもっと寒さがキツく、2週間前は鳥居峠に雪が残り、先週は同じく鳥居峠で強いアラレ(霰)に遭うという散々の街道歩きだったようです。これは後日談になりますが、今回の街道歩きの翌日12月4日(月)は寒気が強くなり、東京でも夕方に冷たい雨が降りました。おそらく標高の高い木曽は雪が降ったのではないでしょうか。まさにこの12月2日(土)、3日(日)の2日間だけが両日とも快晴の街道歩き日和(びより)でした。それだけに「晴れ男のレジェンド」の完全復活!…と宣言してもいいようです。
午前7時に観光バスはJR池袋駅西口を出発。新宿駅西口で新宿からの参加者を乗せて、中央自動車道を西へ走ります。これだけお天気がいいと大勢の行楽客が繰り出すので、中央自動車道は大渋滞するのではないか…と心配したのですが、さすがに12月に入って秋の行楽シーズンもひと段落したのかクルマの数は心配したほどでもなく、順調に流れています。
まったく渋滞に巻き込まれることもなく、途中、釈迦堂パーキングエリアでトイレ休憩したほかは停まることもなく私達を乗せた観光バスは極めて順調に中央自動車道を走り、池袋駅西口を出てから3時間半ほどで今回のスタートポイントであるJR贄川駅前に到着しました。JR贄川駅の直前では前回【第18回】に歩いたところを通ります。なので、JR贄川駅に着いた時には、すっかり気分は前回の続きモードに変わっています。
前回【第18回】の最後でも書きましたが、駅前の案内看板によると、この贄川(にえかわ)宿は中山道六十九次のうち、江戸の日本橋を出てから33番目の宿場です。また、木曽路の北の防衛拠点として建武2年(1334年)に関所が設けられ、木曽福島関所の副関として当時重要な役割を果たしていた…とあります。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、贄川宿の宿内家数は124軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒で宿内人口は545人であったそうです。
入念なストレッチ体操の後、この日の街道歩きのスタートです。
元々の旧中山道はこのJR贄川駅の手前で線路を横切って線路の左手(東側)に出て、JR贄川駅の裏側を通っていたそうなのですが、今はJR中央本線(西線)の線路で遮られていて通れないので、国道19号線をそのまま進みます。
まもなく冬至(2017年の冬至は12月22日)、太陽の高度がかなり低くなっていて、しかも中山道は南に向かって歩くので、前方の風景は完全に逆光です。快晴なのでかなり眩しいです。参加者の中にはサングラスをかける方もいらっしゃいます。なので、ここからは写真も逆光での写真が多くなりますので、ご勘弁ください。
関所橋です。JR中央本線の線路を跨ぐ煉瓦造りの橋で、欄干に大名行列の様子が装飾されています。その大名行列の装飾の上には鉄琴のような金属の筒が幾つも並べられていて、この筒を左から順に叩いていくと、「木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳さんは ナンジャラホーイ」という木曽節のメロディーが流れる仕組みになっています。
その関所橋を渡ってすぐのところに贄川関所の跡があります。この番所は当初はこの先にある「福島関所」の副関(予備的番所)として設けられたものだったのですが、贄川宿が木曽十一宿の始りにあたっていたので、その後、正式な関所となったのだそうです。女改めもあり、女性の出入りは特に厳しく取り締まったそうです。また「木曽檜」や「檜細工」の流出を防ぐ役目も負っていたそうです。関所の前を通る道が本来の中山道にあたります。
現在の建物は、古図をもとに昭和51年(1976年)に復元されました。関所関連の資料を展示しているほか、階下は考古館になっていて、近隣の遺跡から出土した縄文時代の土器・石器等も展示しています。
ここで贄川関所考古館の方から贄川関所についての説明を受けました。
「入り鉄砲に出女」という言葉があります。これは関所を通って江戸に入る鉄炮、江戸より出る女性のことをいい、この両者が関所改めのうち最も厳重だったことを表現する言葉です。江戸時代、幕府は江戸防衛を主眼として諸街道に関所を設け、旅行者や荷物の検閲を実施しました。その際、江戸へ下る鉄炮の通行には、老中印のある鉄炮手形を関所に提出させて、これを関所備え付けの判鑑(はんかん)と照らしたうえで実物を厳重に改めました。他方、出女についても、携帯の手形を幕府留守居(るすい)の判鑑と照合、手形の記載事項と女性とを細かに改め、確認したのち、通行を許可しました。これは幕府が人質として江戸に居住させた大名の妻女らの帰国を防ぐためである。幕府が出女で恐れたのは情報の漏洩。長く江戸に住んでいた大名の妻女達は江戸の事情についての情報を多く持っていることから、その情報の漏洩を防ぐために厳しく取り締まったのだそうです。
この贄川関所資料館には大変に興味深い写真が展示されています。明治時代に撮影された中山道のこの付近の写真で、当然モノクロ写真なのですが、それに色付けしてカラー写真のようにしています。当時の中山道の様子が分かる大変に興味深い写真で、見入ってしまいました。前回【第18回】で通った桜沢の橋や贄川宿、これから行く奈良井宿、そして鳥居峠…、なるほどぉ~…って感じです。
贄川関所資料館の扉になにやら張り紙がしてあります。「“時々…”猿出没! ドアは必ず閉めてください。」このあたり、猿が出没するようです。確かに扉の外は奈良井川の渓谷になっていて、木が鬱蒼と茂っていて、猿も出没しそうなところです。
贄川関所を問題なく抜けて(笑)、いよいよ贄川宿に入っていきます。
贄川番所(関所)の先が、贄川宿です。贄川宿(にえかわじゅく)は中山道で江戸の日本橋から数えて33番目の宿場町です。贄川宿は木曽谷の北に入口にあたり、木曽十一宿はここから始ります。「木曽路はすべて山の中である…」で始る島崎藤村の名作『夜明け前』は木曽十一宿が舞台となっていて、険しい山の中に宿場が続いています。贄川宿は何度も大火に見舞われ、特に昭和5年の大火による被害が大きく、古い町並みは、ほとんどが失われてしまい、残念ながら昔の面影はほとんど残っていません。贄川(にえかわ)の名前は、昔、熱い温泉が噴き出ている河原があり、煮えたぎった熱湯だったから“ニエカワ”になったと伝えられています。古くは「熱川」と表記されていたのですが、温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになったそうです。宿の創設は天文年間。前述のように木曽路最初の宿場で、北(江戸方)の入口に関所があり、福島関所の補助的役割を果たしていました。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、贄川宿の宿内家数は124軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒で宿内人口は545人であったのだそうです。ですが、昭和5年の大火でほとんど焼失してしまって、古い家も残っておらず、昔の面影はほとんど残っていません。
歴史を感じさせる水場があります。贄川宿には4箇所の水場があったそうです。
この民家もかつてここが中山道の宿場だったことの歴史を感じさせます。
宿の右側奥、JR中央本線(西線)の線路を越えた国道19号線の脇に楼門が見え、観音寺があります。高野山金剛峰寺を本山とする寺で、本尊は十一面観音。楼門は、寛政4年(1792年)に再建されたものだそうです。
観音寺横を通ってさらに奥へ歩くと「麻衣廼(あさぎぬの)神社」があります。天慶年間(938年~947年)の創建というから相当に長い歴史を持つ神社です。社殿は、天正10年(1582年)に戦火により焼失し、文禄年間に現在地に再建されたものだそうです。諏訪大社をはじめとした諏訪地方とは異なり、4本の御柱が1列に並んで立っています。ちなみに、麻衣は、木曽の枕詞なのだそうです。
このあたりに贄川宿千村本陣跡がありました。中山道時代の建物は昭和初期に火災で焼失したのですが、その跡に大きな民家が建っています。贄川宿は本陣、脇本陣も含めて案内板の類が少ないのでどこがなんだかよく分かりません。いくらか古そうな門を備えた家が数軒あります。
その横に秋葉神社と津島神社が祀られているのですが、木でできた鳥居は長く風雨にさらされて朽ちてきています。
この秋葉神社と津島神社の手前に千村家本陣と問屋、秋葉神社と津島神社の先に贄川家脇本陣があったのですが、前述のように昭和初期に火災で焼失したので、何も残っていません。その先に2階の窓に格子の入った家があります。漆器の店のようです。往時はこういう建物が建ち並んでいたのでしょう。
歌川広重(安藤広重)が描いた浮世絵『木曾街道六十九次』の「贄川」には旅籠の様子が描かれています。(浮世絵の写真は贄川関所資料館で展示されていた“模写品”を撮影したものです)
旧街道の宿場らしく、出桁造り(だしけたづくり)で、軒を深く前面に張り出した立派な家が建っています。出桁造りは、梁または腕木を側柱筋より外に突出して、その先端に桁を出した建物の構造で、江戸時代の一般的だった町家(店舗兼住宅)建築では、この出桁造りによる軒の立派さが商店の格を示していました。出桁造りによる軒の立派さから想像するに、この商家はさぞや裕福な商家だったのではないか…と推察されます。
秋葉神社と津嶋神社、その横に水場があります。秋葉神社は火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現を祀った神社で、津島神社は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を主祭神として祀った神社です。須佐之男命は自然災害、特に河川の氾濫に対する治水の神として崇められました。宿場を災害から守ってもらうために地元の人達が建立したのでしょう。
目ぼしい旧跡もあまりない中で、津島神社と秋葉神社の鳥居の奥には、二つの神社の祠と、道祖神と書いた石碑があります。
左手に贄川宿唯一といってもよい古い町屋造りの住宅が残っています。深澤家住宅です。元の屋号を「加納屋」と称し、行商を中心とした商売を営み、京や大阪にも販路を拡大した贄川宿きっての商家だったのだそうです。主屋は嘉永7年(1854年)、北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)に建築されたものだそうです。主屋は切妻造、平入りの2階建、鉄板葺きで、桁行(間口)は10.6メートル、梁間(奥行)17.3メートルと、奥行きの長い建物になっています。内部は縦2列に8室を配する間取りで、下手(向かって右)に通り土間を設け、2階は表側と裏手に各1室が設けられているそうです。この深澤家住宅は建築年代が明らかであり、蔵も含めた屋敷構えがよく残され、独特の正面外観に、整然とした架構など江戸時代末期の木曽地方の宿場の商屋建築の到達点を示す建物として歴史的な価値が高いといわれていて、蔵2棟を含む建造物3棟と宅地が国の重要文化財に指定されています。
街道はここで鍵の手に曲がっています。ここが枡形で、贄川宿の京方の入口でした。中山道はその京方の鉤の手の先でJR中央本線(西線)によって分断されているのですが、跨線橋で連絡されています。跨線橋でその線路の上を渡ります。
ここからは国道19号線を進みます。
2~3分歩くと、右奥に長野県の天然記念物である「贄川のトチ(橡)」の巨木が見えてきます。この樹は樹齢約千年と推定され、根元の周囲が10メートル以上もあり、コブの上(約1メートル上)では8.6メートルの巨木であり、長野県内に現存するトチの木としては最大のものだそうです。また、コブの上約3メートルからは太枝が分かれ、さらに5本に分岐しており、枝張りも、樹姿、樹幹の美しさにおいても長野県内随一のものであると言われているそうです。なるほど立派なトチの木です。見事です!
さらに国道19号線を進みます。
国道19号線沿いに石塔・石仏群が何ヶ所か並んでいます。この石塔・石仏群に、ここを昔、中山道が通っていたことがしのばれます。
木曽路民芸館のところで国道19号線を横切り、道路の反対側を歩きます。おそらく旧中山道は現在の国道19号線を斜めに横断するように延びていたものと推定されます。
中山道へは、国道19号線の緩い坂を登り、木曽路民芸館の駐車場脇から国道の擁壁上に設けられた「旧中山道用の歩道」を通って、その先にある階段を左手に上がると入れます。
階段を上がった先から「旧中山道の草道」となり、途中には「馬頭観音」や「中仙道碑」、さらには「津島神社」や「石塔群」などが続き、江戸時代の雰囲気が味わえます。
さらに坂を下ると江戸時代からの道幅のままの街道が続き、「桃岡集落」に入っていきます。
「中仙道」と刻まれた道標が立っています。
素戔嗚尊が祀られている神社です。素戔嗚尊とは「すさのおのみこと」のこと。贄川宿に祀られていた津島神社の主祭神・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と同じで、自然災害、特に河川の氾濫に対する治水の神として崇められました。おそらく傍を流れる奈良井川がたびたび氾濫を起こしたので、それを鎮めるためにここに祀られたのでしょう。その素戔嗚尊神社の横にも石塔・石仏群があります。
桃岡と呼ばれる集落に入っていきます。歴史を感じさせる立派な建物の民家が建っています。
ここにも水場があります。この日の街道歩きでは随所でこのような水場を見かけます。
桃岡集落を下っていくと江戸の日本橋から数えて63里目の「押込 (おしごみ)一里塚跡」があります。現在、塚は残ってなく、標柱だけが立っています。対面の公園内に一里塚のような小山が造られていますが、これは最近作られたもののようです。ここは国道19号線の旧道と新道が合流するところにあたり、どうもこの国道19号線の旧道と新道の間に中山道が通っていたようです。
押込一里塚を過ぎて、JR中央本線の線路を潜り、国道19号線に出ます。すぐに奈良井川を渡っていきます。
このあたりに来るとやたら漆器店の看板が目についてくるようになります。この先が漆器で有名な平沢集落です。
「龍門堂」という大きな店の手前で左手に残る旧道へ入って行きます。ここは長瀬という集落で、細い静かな道が続きます。一気に旧街道を歩いている雰囲気に変わります。街道脇の山肌から清水が流れ落ちてきています。
その分岐点に案内表示が立っています。この日のスタートポイントであったJR贄川駅から2.5km、平沢までは1.8kmですか…。
案内表示に出ていた平沢は漆器の生産で全国的に知られたところ。ここに積み上げられた木の板はその漆器の材料になるのでしょうか。
なかなか味わいのある道を進みます。
鈴なりの柿です。おそらく渋柿で、「つるし柿」用に採るのを忘れてしまったので、こんなに鈴なりになっているのでしょう。渋柿も熟せば甘くなって食べられるようになるのですが、それは鳥さんとの奪い合いになってしまいます。まだ鳥さんに食べられていないってことは、まだまだ熟しきれていないってことですね。鳥さんも賢くて、熟しきれていない渋柿は絶対に食べません。
その雰囲気のいい旧街道区間も短く、すぐに国道19号線に合流します。道路標識によるとここから名古屋まで162kmですか。前回【第18回】で初めて国道19号線に入った時の道路表示では名古屋まで確か177kmとなっていましたから、あそこから15km歩いてきたことになります。奈良井宿まで4kmという表示に頑張ろう!って気になってきます。再び国道19号線を歩きます。
国道19号線の横をJR中央本線(西線)が並行して通っていて、そこをJR東海の制御付き自然振り子方式の383系直流特急電車を使った塩尻方面行きの下りの「特急しなの」が猛スピードで通り過ぎていきます。中山道のこのあたりを歩いていると、JR中央本線(西線)がすぐ傍を通っているのでたびたび目にするのですが、地味ながらなかなかいい車両だと思います。
さらに国道19号線脇の歩道を進みます。
「くらしの工芸館」です。この先の平沢の漆器や奈良井宿の曲物など、木の工芸を紹介しています。
7〜8分歩くと右手に「道の駅 木曽ならかわ」があります。ここは前回【第18回】で2日目の昼食をいただいたところです。今回もこの「道の駅 木曽ならかわ」が1日目の昼食会場でした。ここで昼食をいただきました。
「道の駅 木曽ならかわ」には「木曽路のご案内」と題した案内看板があり、ここの地図でしっかりとこれから行くところの位置関係を頭に入れます。
……(その2)に続きます。
【第16回】は台風で参加できず、前々回【第17回】は小雨が降る中での街道歩きだったのですが、前回【第18回】で復活した「晴れ男のレジェンド」は今回も健在のようで、朝からよく晴れています。空気も澄んで、空の青さが際立っています。この空の青さは大陸から冷たく乾燥した空気が流れ込んでいるためで、そのぶん、ちょっと気温は低めです。でもまぁ〜、歩いていると暖かくなるでしょう。こういう時の街道歩きは着る服が問題となります。一番外側はダウンの入ったウインドブレーカーを着ているので、中の重ね着で調整です。
3週連続で週末にこのコースを歩くというウォーキングリーダーさんによると、この前の2回はもっと寒さがキツく、2週間前は鳥居峠に雪が残り、先週は同じく鳥居峠で強いアラレ(霰)に遭うという散々の街道歩きだったようです。これは後日談になりますが、今回の街道歩きの翌日12月4日(月)は寒気が強くなり、東京でも夕方に冷たい雨が降りました。おそらく標高の高い木曽は雪が降ったのではないでしょうか。まさにこの12月2日(土)、3日(日)の2日間だけが両日とも快晴の街道歩き日和(びより)でした。それだけに「晴れ男のレジェンド」の完全復活!…と宣言してもいいようです。
午前7時に観光バスはJR池袋駅西口を出発。新宿駅西口で新宿からの参加者を乗せて、中央自動車道を西へ走ります。これだけお天気がいいと大勢の行楽客が繰り出すので、中央自動車道は大渋滞するのではないか…と心配したのですが、さすがに12月に入って秋の行楽シーズンもひと段落したのかクルマの数は心配したほどでもなく、順調に流れています。
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まったく渋滞に巻き込まれることもなく、途中、釈迦堂パーキングエリアでトイレ休憩したほかは停まることもなく私達を乗せた観光バスは極めて順調に中央自動車道を走り、池袋駅西口を出てから3時間半ほどで今回のスタートポイントであるJR贄川駅前に到着しました。JR贄川駅の直前では前回【第18回】に歩いたところを通ります。なので、JR贄川駅に着いた時には、すっかり気分は前回の続きモードに変わっています。
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前回【第18回】の最後でも書きましたが、駅前の案内看板によると、この贄川(にえかわ)宿は中山道六十九次のうち、江戸の日本橋を出てから33番目の宿場です。また、木曽路の北の防衛拠点として建武2年(1334年)に関所が設けられ、木曽福島関所の副関として当時重要な役割を果たしていた…とあります。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、贄川宿の宿内家数は124軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒で宿内人口は545人であったそうです。
入念なストレッチ体操の後、この日の街道歩きのスタートです。
元々の旧中山道はこのJR贄川駅の手前で線路を横切って線路の左手(東側)に出て、JR贄川駅の裏側を通っていたそうなのですが、今はJR中央本線(西線)の線路で遮られていて通れないので、国道19号線をそのまま進みます。
まもなく冬至(2017年の冬至は12月22日)、太陽の高度がかなり低くなっていて、しかも中山道は南に向かって歩くので、前方の風景は完全に逆光です。快晴なのでかなり眩しいです。参加者の中にはサングラスをかける方もいらっしゃいます。なので、ここからは写真も逆光での写真が多くなりますので、ご勘弁ください。
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関所橋です。JR中央本線の線路を跨ぐ煉瓦造りの橋で、欄干に大名行列の様子が装飾されています。その大名行列の装飾の上には鉄琴のような金属の筒が幾つも並べられていて、この筒を左から順に叩いていくと、「木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳さんは ナンジャラホーイ」という木曽節のメロディーが流れる仕組みになっています。
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その関所橋を渡ってすぐのところに贄川関所の跡があります。この番所は当初はこの先にある「福島関所」の副関(予備的番所)として設けられたものだったのですが、贄川宿が木曽十一宿の始りにあたっていたので、その後、正式な関所となったのだそうです。女改めもあり、女性の出入りは特に厳しく取り締まったそうです。また「木曽檜」や「檜細工」の流出を防ぐ役目も負っていたそうです。関所の前を通る道が本来の中山道にあたります。
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現在の建物は、古図をもとに昭和51年(1976年)に復元されました。関所関連の資料を展示しているほか、階下は考古館になっていて、近隣の遺跡から出土した縄文時代の土器・石器等も展示しています。
ここで贄川関所考古館の方から贄川関所についての説明を受けました。
「入り鉄砲に出女」という言葉があります。これは関所を通って江戸に入る鉄炮、江戸より出る女性のことをいい、この両者が関所改めのうち最も厳重だったことを表現する言葉です。江戸時代、幕府は江戸防衛を主眼として諸街道に関所を設け、旅行者や荷物の検閲を実施しました。その際、江戸へ下る鉄炮の通行には、老中印のある鉄炮手形を関所に提出させて、これを関所備え付けの判鑑(はんかん)と照らしたうえで実物を厳重に改めました。他方、出女についても、携帯の手形を幕府留守居(るすい)の判鑑と照合、手形の記載事項と女性とを細かに改め、確認したのち、通行を許可しました。これは幕府が人質として江戸に居住させた大名の妻女らの帰国を防ぐためである。幕府が出女で恐れたのは情報の漏洩。長く江戸に住んでいた大名の妻女達は江戸の事情についての情報を多く持っていることから、その情報の漏洩を防ぐために厳しく取り締まったのだそうです。
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この贄川関所資料館には大変に興味深い写真が展示されています。明治時代に撮影された中山道のこの付近の写真で、当然モノクロ写真なのですが、それに色付けしてカラー写真のようにしています。当時の中山道の様子が分かる大変に興味深い写真で、見入ってしまいました。前回【第18回】で通った桜沢の橋や贄川宿、これから行く奈良井宿、そして鳥居峠…、なるほどぉ~…って感じです。
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贄川関所資料館の扉になにやら張り紙がしてあります。「“時々…”猿出没! ドアは必ず閉めてください。」このあたり、猿が出没するようです。確かに扉の外は奈良井川の渓谷になっていて、木が鬱蒼と茂っていて、猿も出没しそうなところです。
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贄川関所を問題なく抜けて(笑)、いよいよ贄川宿に入っていきます。
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贄川番所(関所)の先が、贄川宿です。贄川宿(にえかわじゅく)は中山道で江戸の日本橋から数えて33番目の宿場町です。贄川宿は木曽谷の北に入口にあたり、木曽十一宿はここから始ります。「木曽路はすべて山の中である…」で始る島崎藤村の名作『夜明け前』は木曽十一宿が舞台となっていて、険しい山の中に宿場が続いています。贄川宿は何度も大火に見舞われ、特に昭和5年の大火による被害が大きく、古い町並みは、ほとんどが失われてしまい、残念ながら昔の面影はほとんど残っていません。贄川(にえかわ)の名前は、昔、熱い温泉が噴き出ている河原があり、煮えたぎった熱湯だったから“ニエカワ”になったと伝えられています。古くは「熱川」と表記されていたのですが、温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになったそうです。宿の創設は天文年間。前述のように木曽路最初の宿場で、北(江戸方)の入口に関所があり、福島関所の補助的役割を果たしていました。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によると、贄川宿の宿内家数は124軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒で宿内人口は545人であったのだそうです。ですが、昭和5年の大火でほとんど焼失してしまって、古い家も残っておらず、昔の面影はほとんど残っていません。
歴史を感じさせる水場があります。贄川宿には4箇所の水場があったそうです。
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この民家もかつてここが中山道の宿場だったことの歴史を感じさせます。
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宿の右側奥、JR中央本線(西線)の線路を越えた国道19号線の脇に楼門が見え、観音寺があります。高野山金剛峰寺を本山とする寺で、本尊は十一面観音。楼門は、寛政4年(1792年)に再建されたものだそうです。
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観音寺横を通ってさらに奥へ歩くと「麻衣廼(あさぎぬの)神社」があります。天慶年間(938年~947年)の創建というから相当に長い歴史を持つ神社です。社殿は、天正10年(1582年)に戦火により焼失し、文禄年間に現在地に再建されたものだそうです。諏訪大社をはじめとした諏訪地方とは異なり、4本の御柱が1列に並んで立っています。ちなみに、麻衣は、木曽の枕詞なのだそうです。
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このあたりに贄川宿千村本陣跡がありました。中山道時代の建物は昭和初期に火災で焼失したのですが、その跡に大きな民家が建っています。贄川宿は本陣、脇本陣も含めて案内板の類が少ないのでどこがなんだかよく分かりません。いくらか古そうな門を備えた家が数軒あります。
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その横に秋葉神社と津島神社が祀られているのですが、木でできた鳥居は長く風雨にさらされて朽ちてきています。
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この秋葉神社と津島神社の手前に千村家本陣と問屋、秋葉神社と津島神社の先に贄川家脇本陣があったのですが、前述のように昭和初期に火災で焼失したので、何も残っていません。その先に2階の窓に格子の入った家があります。漆器の店のようです。往時はこういう建物が建ち並んでいたのでしょう。
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歌川広重(安藤広重)が描いた浮世絵『木曾街道六十九次』の「贄川」には旅籠の様子が描かれています。(浮世絵の写真は贄川関所資料館で展示されていた“模写品”を撮影したものです)
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旧街道の宿場らしく、出桁造り(だしけたづくり)で、軒を深く前面に張り出した立派な家が建っています。出桁造りは、梁または腕木を側柱筋より外に突出して、その先端に桁を出した建物の構造で、江戸時代の一般的だった町家(店舗兼住宅)建築では、この出桁造りによる軒の立派さが商店の格を示していました。出桁造りによる軒の立派さから想像するに、この商家はさぞや裕福な商家だったのではないか…と推察されます。
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秋葉神社と津嶋神社、その横に水場があります。秋葉神社は火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現を祀った神社で、津島神社は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を主祭神として祀った神社です。須佐之男命は自然災害、特に河川の氾濫に対する治水の神として崇められました。宿場を災害から守ってもらうために地元の人達が建立したのでしょう。
目ぼしい旧跡もあまりない中で、津島神社と秋葉神社の鳥居の奥には、二つの神社の祠と、道祖神と書いた石碑があります。
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左手に贄川宿唯一といってもよい古い町屋造りの住宅が残っています。深澤家住宅です。元の屋号を「加納屋」と称し、行商を中心とした商売を営み、京や大阪にも販路を拡大した贄川宿きっての商家だったのだそうです。主屋は嘉永7年(1854年)、北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)に建築されたものだそうです。主屋は切妻造、平入りの2階建、鉄板葺きで、桁行(間口)は10.6メートル、梁間(奥行)17.3メートルと、奥行きの長い建物になっています。内部は縦2列に8室を配する間取りで、下手(向かって右)に通り土間を設け、2階は表側と裏手に各1室が設けられているそうです。この深澤家住宅は建築年代が明らかであり、蔵も含めた屋敷構えがよく残され、独特の正面外観に、整然とした架構など江戸時代末期の木曽地方の宿場の商屋建築の到達点を示す建物として歴史的な価値が高いといわれていて、蔵2棟を含む建造物3棟と宅地が国の重要文化財に指定されています。
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街道はここで鍵の手に曲がっています。ここが枡形で、贄川宿の京方の入口でした。中山道はその京方の鉤の手の先でJR中央本線(西線)によって分断されているのですが、跨線橋で連絡されています。跨線橋でその線路の上を渡ります。
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ここからは国道19号線を進みます。
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2~3分歩くと、右奥に長野県の天然記念物である「贄川のトチ(橡)」の巨木が見えてきます。この樹は樹齢約千年と推定され、根元の周囲が10メートル以上もあり、コブの上(約1メートル上)では8.6メートルの巨木であり、長野県内に現存するトチの木としては最大のものだそうです。また、コブの上約3メートルからは太枝が分かれ、さらに5本に分岐しており、枝張りも、樹姿、樹幹の美しさにおいても長野県内随一のものであると言われているそうです。なるほど立派なトチの木です。見事です!
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さらに国道19号線を進みます。
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国道19号線沿いに石塔・石仏群が何ヶ所か並んでいます。この石塔・石仏群に、ここを昔、中山道が通っていたことがしのばれます。
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木曽路民芸館のところで国道19号線を横切り、道路の反対側を歩きます。おそらく旧中山道は現在の国道19号線を斜めに横断するように延びていたものと推定されます。
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中山道へは、国道19号線の緩い坂を登り、木曽路民芸館の駐車場脇から国道の擁壁上に設けられた「旧中山道用の歩道」を通って、その先にある階段を左手に上がると入れます。
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階段を上がった先から「旧中山道の草道」となり、途中には「馬頭観音」や「中仙道碑」、さらには「津島神社」や「石塔群」などが続き、江戸時代の雰囲気が味わえます。
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さらに坂を下ると江戸時代からの道幅のままの街道が続き、「桃岡集落」に入っていきます。
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「中仙道」と刻まれた道標が立っています。
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素戔嗚尊が祀られている神社です。素戔嗚尊とは「すさのおのみこと」のこと。贄川宿に祀られていた津島神社の主祭神・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と同じで、自然災害、特に河川の氾濫に対する治水の神として崇められました。おそらく傍を流れる奈良井川がたびたび氾濫を起こしたので、それを鎮めるためにここに祀られたのでしょう。その素戔嗚尊神社の横にも石塔・石仏群があります。
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桃岡と呼ばれる集落に入っていきます。歴史を感じさせる立派な建物の民家が建っています。
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ここにも水場があります。この日の街道歩きでは随所でこのような水場を見かけます。
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桃岡集落を下っていくと江戸の日本橋から数えて63里目の「押込 (おしごみ)一里塚跡」があります。現在、塚は残ってなく、標柱だけが立っています。対面の公園内に一里塚のような小山が造られていますが、これは最近作られたもののようです。ここは国道19号線の旧道と新道が合流するところにあたり、どうもこの国道19号線の旧道と新道の間に中山道が通っていたようです。
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押込一里塚を過ぎて、JR中央本線の線路を潜り、国道19号線に出ます。すぐに奈良井川を渡っていきます。
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このあたりに来るとやたら漆器店の看板が目についてくるようになります。この先が漆器で有名な平沢集落です。
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「龍門堂」という大きな店の手前で左手に残る旧道へ入って行きます。ここは長瀬という集落で、細い静かな道が続きます。一気に旧街道を歩いている雰囲気に変わります。街道脇の山肌から清水が流れ落ちてきています。
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その分岐点に案内表示が立っています。この日のスタートポイントであったJR贄川駅から2.5km、平沢までは1.8kmですか…。
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案内表示に出ていた平沢は漆器の生産で全国的に知られたところ。ここに積み上げられた木の板はその漆器の材料になるのでしょうか。
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なかなか味わいのある道を進みます。
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鈴なりの柿です。おそらく渋柿で、「つるし柿」用に採るのを忘れてしまったので、こんなに鈴なりになっているのでしょう。渋柿も熟せば甘くなって食べられるようになるのですが、それは鳥さんとの奪い合いになってしまいます。まだ鳥さんに食べられていないってことは、まだまだ熟しきれていないってことですね。鳥さんも賢くて、熟しきれていない渋柿は絶対に食べません。
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その雰囲気のいい旧街道区間も短く、すぐに国道19号線に合流します。道路標識によるとここから名古屋まで162kmですか。前回【第18回】で初めて国道19号線に入った時の道路表示では名古屋まで確か177kmとなっていましたから、あそこから15km歩いてきたことになります。奈良井宿まで4kmという表示に頑張ろう!って気になってきます。再び国道19号線を歩きます。
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国道19号線の横をJR中央本線(西線)が並行して通っていて、そこをJR東海の制御付き自然振り子方式の383系直流特急電車を使った塩尻方面行きの下りの「特急しなの」が猛スピードで通り過ぎていきます。中山道のこのあたりを歩いていると、JR中央本線(西線)がすぐ傍を通っているのでたびたび目にするのですが、地味ながらなかなかいい車両だと思います。
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さらに国道19号線脇の歩道を進みます。
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「くらしの工芸館」です。この先の平沢の漆器や奈良井宿の曲物など、木の工芸を紹介しています。
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7〜8分歩くと右手に「道の駅 木曽ならかわ」があります。ここは前回【第18回】で2日目の昼食をいただいたところです。今回もこの「道の駅 木曽ならかわ」が1日目の昼食会場でした。ここで昼食をいただきました。
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「道の駅 木曽ならかわ」には「木曽路のご案内」と題した案内看板があり、ここの地図でしっかりとこれから行くところの位置関係を頭に入れます。
……(その2)に続きます。
執筆者
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株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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